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「帰りたい・・・」<前編> [About My Dad]

とは、今入院中の、父の言葉。

私の父は約5年前に脳梗塞で倒れ、以来左手の自由が利かぬ体に。
週2の通所リハビリに通い始めて約3年。
最初のうちは、片手は杖で、もう片手は誰かが繋ぎ、それで何とか自分の体を支えつつ、ゆっくり歩く事ができてた。
ウチの前の廊下(我が家は団地住まい)を、毎朝歩く練習をしてた事もあったけど、よそのお宅の前も通るし、だんだん父が遠慮していくようになって(遠慮する必要はまったくないのに)、ついにはやめてしまったり。
だから歩くという行為は、自力ではまったくできなくなってしまった。
父の介護は私と母がしているが、徐々に介護が我々にも辛くなってきて、この1年は、月1で約1週間、ショートステイに預けたりもしていた。
しかし、これはあくまで我々の見解だけど、ショートステイに預けるたびに、少しずつ父の体の具合が悪くなっていくような・・・??
そんな小さな積み重ねを経て、最初は何とか食事も自分で口に運ぶ事ができていたのに、去年の終わり頃からフォークも握れなくなり・・・今年はじめから介護5に認定されてしまった。

1ヶ月前、ショートステイから帰ってきて1週間くらい経った頃、
「右腕が痛い!」
「脇腹が痛い!」
と、苦しそうに顔をゆがめる父。
ベッドから起こす時に、無理に体を起こしてやろうとして、うっかり捻っちゃったのかな? と思い、さすってるうちに痛みが治まる。
でも、頻繁にそんな症状が起こるようになって、これはまずいのでは?? と、通所リハでお世話になってるM病院のケアマネに連絡、内科診察の予約をしてもらう。

この日は私は仕事だったので、母が病院へ連れて行った。
レントゲンや採血など、検査してもらった結果。
「お腹にガスが溜まっている」
「血管が炎症を起こしている」
「白血球が多い」
という事・・・
?????な感じ。
とにかく即入院な状況だ。

しかしM病院にはベッドに空きがないという事で、近くのH病院に入院する事に。

この手続きにかなり時間がかかって、私が仕事から帰ってきた時はまだ母も帰宅できず、窓は少し開いたまま(1Fなのに!!)、洗濯物は干しっぱなし、部屋は真っ暗。
呆気にとられながら家事をやってると病院の母から電話。前述の状況と、今MRIを受けてるので、もう少し時間がかかる、というような事を聞かされた。

私も病院に行った方がいいのか??

かなり迷ったけど、ウチで夕食の支度をして待ってる方がいい、と判断して、母の帰りを待った。
父の着替えやタオルなどをひととおりまとめておいた。

次の日。
入院した父の様子を見に、H病院へ。
点滴を受け、ベッドに横たわる父。驚いた事に、酸素マスクを付けられていた。
「まだ体痛いの??」
と訊くと、痛い、と眉間に皺を寄せる。
この日は、病院から緊急連絡先を訊かれたのでそれに答えたりして、とりあえず帰った。

また次の日。
病院から「病状についてお話ししたい事があるので、明日ご家族皆さんで来てください」と連絡が。
母と二人で、個室に通される。
N医師が、開口一番、
「いやああああ、あまりにもすさまじい病状で、私たちも驚いてしまったんですが・・・」

「肝臓癌、それも末期で、手の施しようがありません」

え???
これは晴天の霹靂?

レントゲンのフィルムや、CTスキャン、MRIの画像を見せてもらった。
N医師に指し示された部分に、巨大化した肝臓。倍の大きさに腫れ上がっている。
そしてその下半分は、癌細胞に侵されている。
これが破裂すると、もう一巻の終わり。もしかすると、もう破裂してるかも?
そんな説明を受けた。
母と二人、呆然とするばかり。
母が「じゃあ、これは余命何ヶ月とか・・・?」
と言い終らぬうちにN医師、
「もうそんな次元じゃありません」

今後の治療方針としては、なるべく痛みを和らげるようにして、見守る事。
「緩和治療」をしていくとの事。
いざ(=肝臓が破裂した時)、という時も、心臓マッサージはできないので、モルヒネを投与していき、穏やかな最期へ、との事だ。

もうそこまで聞くと、母も私も、涙が溢れてきてどうしようもなかった。
そんな事態だとは、想像もしてなかったから。

N医師のお話の後、涙をぬぐって、努めて普通の顔で父のベッドに。
「また明日来るね。頑張って」
やっとの事で一言言って、病院を後にした。

お昼を食べずに病院へ行ったので、病院の近所のお蕎麦屋で食べて帰る事に。
二人で泣きながら食べた。
この時のカレーうどんの味、一生忘れられないんじゃないかと思う。

それから、母は毎日、私は土日、父に会いに行く。
最初は痛みがまだ残って苦しそうだったので、そんな様子を見た後でウチに帰って床に就いた時には泣けてきたり、「今晩病院から電話かかってくるのかも・・・」と怯えたりした。
でも、肝臓に直接モルヒネの点滴をするようになってからはラクになったのか、穏やかな表情になり、胸を撫で下ろしたりした。

現在ウチの中は、母と二人。

で、ここ最近の1曲・・・

Bed's Too Big Without You / The Police

Reggatta de Blanc

Reggatta de Blanc

  • アーティスト: The Police
  • 出版社/メーカー: Universal Japan
  • 発売日: 2003/03/04
  • メディア: CD

The Policeは中学生の頃から大好きなバンド。
「君のいないベッドは大きすぎる」って意味の歌。
今の私たちには、父のいないウチは広すぎる。
寂しくて仕方がない。
そして、ウチにいる時はもちろん、仕事中だっていつ何時「その」連絡が入るのかに怯えてる。

最近、紙の日記つけてないから、ここに書く事に決めました。
父の「その時」が訪れるまで、書いていこうと思ってます。
もしこれを読んでくださった方、いらっしゃいましたら、コメント無理にくださらなくていいですよ。


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モカ彦

そっか。。。

ごめんね、、、なんだか、ココまでひどいとは思わなかった・・・
そっか。。。
なんと言って言いか・・・・

あたしもお母さんのお姉ちゃんの旦那さん、あたしからするとおじちゃん?がたんかん癌って難しい名前の癌でなくなったんだけど、その時も多分末期で、あたしは高校生で、あたしには父親がいないから、おじちゃんは自分のお父さんみたいにすっごい優しくて、休みの日とかも結構遊びにつれってってくれて、慕ってたんだけど、いきなり、急に入院して、最初はお見舞い行ってあげてー!位にしか言われてなかったんだけど、あるとき、『もう長くないから・・・』って言われて始めて聞いて、本当に急で、まさか癌で、しかもどうしようもないなんていわれて、ホントに初めまったく信じられなくて、どうせ、あたしに嘘ついてるんでしょ?ってしか思えなくて・・・

でも日に日に弱っていくおじちゃんを見ていて何も出来ない自分と、もっと、もっと遊びにいったり、お見舞いにいったり、出来たはずなのに・・・って悔しくてね。。。
本当にあっという間で、なんか信じられなかったんだよね・・・・
でも、どうする事もできないから、ただただ一緒に居る事しか出来なくて。。。
なんて言っていいか、り☆よたんのその気持ち少しだけかもしれないけど、わかるんだ。。。
ほんとこうゆう時って自分って無力だなぁって思うよね・・・
で。あのときこうしてればとかたくさん思うと思うんだけど、過去の事を悔やんでも仕方ないから、これから、お父さんの最後まで、どうしてあげたら一番いいか、お父さんの一番喜ぶ事から順にやっていってあげるのが一番だと思う・・・
その為にはり☆よたんは辛いかもしれないけど、せめてお父さんの前ではいつも笑顔で、出来るだけたくさん一緒に居てあげて、お父さんの事は一番に考えてあげて貰いたいなぁって思う・・・

あたしも今でもまだ、あの時に戻れるなら・・・って悔やむ事もたくさんあるよ、もっと、たくさん病院に行ってあげればよかったとかさ、もっと、出来た事あったのに。。。ってね・・・

だから、り☆よたんには後悔して欲しくない。

なんか長々とホントウにごめんね・・・・
しかも図々しく。。。ホントにゴメン・・・
by モカ彦 (2007-06-04 16:01) 

Riyo-Lyon

モカちゃん
ありがとねえ。
図々しくだなんて、ちーっとも!! 嬉しいです。
mixiでこんな事書くのは、なんか辛気臭いし、ここで書いた方が気が楽でね。
ここなら、モカちゃんみたいに私なんかの事慕ってくれる人だけがコメントくれるから、居心地がいいのよね。
体が痛いと言い出して、癌の宣告されてから、ここまであっという間。
呆気にとられるばかりだよ。
モカちゃんの言うとおり、今はただ、後悔のないように父に接する事、それだけを考えてます。
モカちゃんもおじさまが亡くなって、ホントに辛い思いしたんだね。
周りの人も、若いモカちゃんにはショックが大きすぎるから隠してたんだろうね。
でも、亡くなるまでの時間が後どれくらいなのか、そんな事を考えて生活していくのは、かなりしんどいね。だからモカちゃんが、おじさまの詳しい病状や寿命を知らなかったのは、失礼な言い方ではあるけど、救いだったんでは・・・と思ってしまう。ごめんなさい!!
でもなんかそんな気がする。

今後も、ここでいろいろ吐いていきますね。
嫌な気分になったら、逃げてちょうだいね。
by Riyo-Lyon (2007-06-04 22:19) 

(。・_・。)2k

お見舞いniceです!
by (。・_・。)2k (2007-06-05 16:10) 

康兄ぃ

こんばんは。
そして、お疲れ様です。姉さん。

こうしてブログやmixiの足跡を見るだけでも、なんだかホッとします。
変に滅入ってないで頑張ってるな!って。

安心しました。

お母さんも今日一日お疲れ様でした。
by 康兄ぃ (2007-06-05 21:28) 

Riyo-Lyon

(。・_・。)2kさん
nice! ぽちっとなと、コメント、ありがとうございます!!
すごく嬉しいです。
逆に、なかなか(。・_・。)2kさんとこへ伺えなくて、残念&申し訳ないです・・・

康兄ぃ
ありがとうね、いつもいつも励ましてくれて。
mixiではあまりここまで詳しく知られたくない人がマイミクにいるので、しばらくはここで綴っていきます。
滅入ってはいない・・・かな?? どーかな??
でもなかなか寝付きにくい夜もあるね。今晩こそは、「そのとき」の知らせの電話で起こされるんじゃないかって、怖くて。
母がいちばん心身共に疲れてるかな。まあ、飼ってる小鳥たちにかなり癒されたりしてるみたいだから、少し安心だけど・・・
by Riyo-Lyon (2007-06-06 00:43) 

けろりん

久々にお邪魔したら、そんな重大な状態になっていたとは。

だりーんも、病巣の場所は違えど、同じ系統の病だったっすよ。
幸いなことに、今もだりーんはそばにいてくれるけれども。

当時は、今、出来ることをやるしかなかったというよりは、
先のこと、考える余裕なんか、無かったというのが正解だったかも。
ただ、側にいて、ボーッとしていられるのが幸せだったっす。
彼の為に、色々やってあげたり、看病するので、せいいっぱいだった。

面会時間終わって、家に帰ると。。。家の窓から、病院が見えるのが
切なかったっす。(たまたま病院のすぐ側に住んでたのさ。)

「そのとき」、怖いよね。
もう過去の話になりつつあるあたしだって、今でも、ドキドキする事がある。

怖いけれど、お父さんと過ごすときは、楽しく明るく過ごすんだぞっ!
病室という味気ない空間ではあるけれど、同じ空間で、一緒の時間を共有できる幸せを、かみしめておいでっ。

実際、りよさんやお母さんのような、大変な局面には立たされた経験は
ないからな。偉そうな事を言ってごめんなさい。
少しでも長く沢山、お父さんが穏やかな時間を過ごされることを、お祈りします。
りよさんも、無理しないでね。でも、ちょっと正念場だね。
他人様に頑張れというのは好きじゃないけれど、ちと、頑張れ。
by けろりん (2007-06-07 03:45) 

Riyo-Lyon

けろりん
わあ、コメントありがとうございます!

だりーんさんも相当お悪かったんですか?? でも今は、復活なさって、傍にいる・・・よかったです。
でも病院がご自宅から見えるというのは、かなり辛いシチュエーションだったでしょう。こんなに近くにいるのに、何もしてやれない自分・・・って感じで。
今私たちは、それと似たような気持ちを味わわされています。
どうしても、私たちの力じゃ、解決できない。ただ見守ってやるだけ。
こんなに普通の意識を持ってて、ちゃんと会話だってできてるのに、命が消えゆくのをただ見てるしかないのか。
医療がこんなに発達した世の中なのに、こんなバカな事ってあるのか、って母と言ってます。
父の病状を先生から聞いた後は、父のベッドまで行くのに泣きたくて仕方なかったけど、涙をこらえてました。さりげなく振舞ってたつもり。
これからまだまだ、或いは明日?? こんな生活、いつまで続くのかわからないけど、精一杯接してあげたいと思ってます。
うん、頑張ります!!
by Riyo-Lyon (2007-06-07 23:23) 

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